« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

家庭教育は親と子の「共育」

幼児のころから十分な愛情を受けられずに育った子供は適切な対人関係をつくる能力が育たず、自己中心的で他社への共感性が乏しく感情をうまく制御できない幼児性を残します。

子供が問題を抱えたときに親としてやってはいけないこと

命令、注意、説教、忠告、非難、侮辱、分析、激励、尋問、評価、遠まわしの表現。

親は「教える」よりも「育てる」ことを優先すべきです。言いたくなるのを抑えて、黙って聞いてあげる。共感してあげることが大事です。(o^-^o)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

なぜか弁護士が進化論を否定

リンク: なぜか弁護士が進化論を否定.

佐々木満男氏が主張しているのは、「インテリジェント・デザイン説」だと思われます。

日本における「インテリジェント・デザイン・セオリー」の第一人者
京都大学名誉教授、摂南大学教授の渡辺久義氏は、日刊紙「世界日報」につぎのような寄稿をしている。

 大自然の中で働いているのは盲目の物理的力だけであり、これによってすべてを説明しなければならず、またできるはずだという前提があまりにも強力に支配してきたために、長いことこれを批判することができなかったのである。

それが恨みを晴らすように堰を切って、さまざまの分野のアメリカを中心とする科学者・哲学者の間から一種の科学革命運動として現れてきたのが、一九九六年「インテリジェント・デザイン・セオリー」という呼称のもとに展開されるようになった理論である。

 誰がどう考えても、生命とか進化とか心(意識)の問題を物理力だけで説明できるとは思えない。

この賊宙の本質は創造であって無目的の機械作用ではないことは直観でわかる。

しかし、そう思えてもそれは間違った考え方だというようなことを、我々一般人が立ち入ることもできぬ専門分野の学者が主張すれば、我々は引き下がるよりほかなくなる。

科学者の間でさえそれに対する批判は封じられてきた。

その批判運動がほかならぬ科学者の間から始まったということには、どれだけ大きな意味があるかわからない。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

我々が訪ねるべき本郷

霊界は、神様の天地原則である「ために生きる」生活をした人だけが行くところです。

そのような内容で形成された世界が、理想天国です。

そこが、我々人間が訪ねるべき本郷です。

今日、我々は堕落した人生として、本郷から追放された人間になったために、本郷の地に向かって帰るべき運命にあるのです。

しかしそこへは、その人間自体としては帰ることができないために、神様は、人間が帰ることのできる道を歴史過程に設定せざるを得ません。

それで、その民族の文化背景、風習、あるいは伝統が異なることによって、数多くの宗教を立てて収拾していきました。

そのように収拾するための訓練場として立てたのが宗教です。

ですから宗教は、本郷の地に入ることができる資格者を錬磨させる訓練場です。

そのような本郷の所へ導くべき宗教なので、宗教は何を教えなければならないのでしょうか。

「ため」に生きなさいということを教えざるを得ません。

ですから、高次的な宗教であるほど、「ため」に生きるべきだという原則を強調しなければならず、「温柔謙遜であれ」というのです。

数多くの人を高め、彼らのために生きる立場に立てというのです。

「犠牲奉仕せよ」と教えるのです。

その理由は、その国(本郷)の法度に合う訓練をしなければならないからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人生最高の行くべき道

人生の行くべき道とはどのようなものでしょうか。

神様の愛を占領することが、人生の行くべき道です。神様の愛を占領することが、人生の行くべき最高の終着点です。この道は、男性も女性もみな行かなければなりません。すべての人がいくべきなのです。

人生の行くべき道は、無限であられる神様の愛を探すことです。十回でも百回でも、死の峠を経てでも、死んでも絶えず探していくべき、神様の愛を探すのが人生の最高の行くべき道です。

欲望の果てはどこまででしょうか。神様の愛を占領することです。神様を占領したといっても、その中にもっと貴いを占領できなければ、神様は自分の神様ではありません。それゆえ神様の愛を占領しなければなりません。さえ占領すれば、神様はいらっしゃらなくても構わないのです。

神様のものがわたしのものであり、私のものが神様のものになるとき、初めて内外が一つになるのです。そのような国が、上下の等級のない理想の本国になるのです。

そのような場で寝そべれば、天下にあるすべての存在が、よく見えないものがなく、天下にあるすべての存在が、自分のために存在しないものがないと感じられるのです。

そのようなものが神様の愛なので、今日人間が行くべき天上世界、すなわち天国は、で充満したところなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地上生活は霊界の拍子を合わせるための訓練場所

霊界はの成分で覆われている所です。地球は空気で覆われていますが、霊界はで包まれている所です。人間は、地上で、空気を吸ってガスを吐き出しますが、霊界ではを吸って生きるようになっています。霊界は、今日の人間の世俗的な愛を中心として授け受けするようになっていません。霊界で授け受けする愛は真なる愛なのです。

皆さんが霊界に行ってみれば、その世界は次のようになっています。すなわち、父母、兄弟姉妹、夫婦、子女に対するを十分にもった者、すなわち家庭生活で深いを経験した人は、多くの自由を享受することができるでしょう。

その人は、何の制限もなく、どこでも、どの方向にでも行くことができます。その反対にの経験が少ない人は心が狭く、霊界でも自分一人孤立していて自由が全くありません。

父子の愛縦的な関係であり、夫婦間の愛横的な関係であり、兄弟姉妹間の愛旋回して取り囲む関係なのです。この三つの関係は互いに異なります。ですから、地上でこの三つの互いに異なる方法で深いの経験をもってこそ、制限なしに縦的、横的に行くことができ、円形に旋回することができるのです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

愛は相対から来るもの

は、一人では成されないのです。は、どこから出てくるのですか?「私」から出てくるのではなく、相対から来るのです。相対から出てくるので、「私」が頭を低くして相対のために尽くさなければならないのです。「ために生きる」という天理がここから生まれるのです。きわめて高貴なものが「私」のところに訪れるのですが、それを受け入れようとすれば、それを貴く思い敬わなければならないという「ために生きる哲学」を実践しなければならないのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

愛を中心とした創造本然の人生

人間というものが存在するようになった原因は何でしょうか。人間はから始まったのです。それでは、人間存在の目的はどこにあると思いますか。人間という存在の目的は、の理想を完成することです。人間がを原因として存在するようになったので、の基台を成して、拡張させ、連結して完成することが目的となるのです。

すなわち、出発がなので、目的もをもって到達しなければならないというのです。そのようにするためには、相対的関係にある男性と女性が愛を中心として一つになり、前後、左右、上下に連結できなければなりません。

幸福への処方箋

おすすめポイント:
「統一原理」を分かりやすくまとめた、真実に幸福な個人、愛に満ちた家庭、平和な社会・世界を実現するための手引き書 です。

幸福への処方箋

著者:野村 健二

幸福への処方箋

| | コメント (0) | トラックバック (1)

人間はなぜ生まれたのか

私たちの生命の起源がどこなのかを考えるとき、生命が先か、が先か、ということが問題です。今までこれを見分けることができませんでした。

生命が先ではなくが先です。あとになったものは、先になったものに順応しなければならないので、のためには生命を捧げるのが当然なのです。このように収拾しておかなければなりません。そのようにすれば、人生を真に生きる道はどこなのかということが出てきます。

人生がから生まれたので、の道を行かなければならず、のために死ななければならない、という結論が出てきます。

小宇宙ではなく、大宇宙が歓迎できるを探して、神様が公認し、万物が、ひいては、父母が公認できる大宇宙のの中に生れ、その中でし、死んでいくのが人間が生まれた目的だとみるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »